田中ユタカ『愛人』
おたくトーク
ここは、長いばかりで、あまり面白くありません
以下の記述について
 昔のアニメは沢山見ていますし、ゲーム会社で××××ゲームを作っていたことも有りますが、最近、とんとご無沙汰なので、漫画にもアニメにもさほど詳しくありません。その程度の知識で思った事を書いていますので、以下の文章には、たくさんの誤解、思い違いがあると思います。ご指摘頂くと有りがたいです。
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経済社会と志(こころざし)
 今日、あらゆる活動が経済的な効率を優先して行われています。市場に提供される商品も、情報も、それが「儲かる」か否かで判断されて、送り出されています。志を持って作られた商品は、残念ながら、経済社会の中で淘汰され、消滅して行きます。
 ですから、現在、巨大化した科学力を適切に制御して、21世紀に人類が生きて行く為に、この「志」が必須のものであるにもかかわらず、実際には、それは決定的に不足していますし、ますます、失われつつあります。このままでは、生殖的にではなくて、精神的に種の寿命が尽きてしまいそうです。
 確かに、金銭、名誉、その他いろいろの、雑然たる欲望達も大切ですが、また別に、理想を持ってより高きを目指す心も大切ではないか、と思うのです。しかし、今のところ、それは、恥ずかしいこと、青臭いこと、と烙印を押され、忌み嫌われてさえいます。
 なぜなら、人間集団をマネーマシンとして機能させて利潤を追求している経済システムにとって、志は最も危険なものの一つだからです。人々は何も考えずに、生産し、そしてそれを、消費しさえすれば、良いのです。
 そんな訳で志に巡り合う機会が、最近めっきり少なくなっているので、「愛人」を読んだときには「ワーオ、やってくれた」と手を叩きました。
成人漫画と志
 なぜ、ワンパターンで性行為を繰り返す成人漫画の世界から志が沸いて出たのか、非常に興味深いところであります。
 私は、欲の世界を繰り返し繰り返し、描きつづける中で、これを、徹底的に追求して、そして、これを極めて、その果てに「なぜ欲するのか」あるいは、何もかも、欲するがままに描き切った果てに、「そしして、本当は何が欲しいのか」という点に到達したからではないか、と感じています。
思想と志
 ここで「田中ユタカに志がある」というのは「田中ユタカの作品には思想がある」と言うような安っぽい意味ではありません。
 志は思想とは全く別物です。思想は単に一定の原理に基づいた思考の事ですが、思想にも志がある場合と無い場合があります。思想なんぞは、有っても無くても良いですが、志は是非必要です。
 作品に接したとき、何を成したか、と同時に、何を成さんとしたか、という点も多いに味わいたいと常々思っているのですが、この作品はその両方で成果を出しています。つまり、成さんとした事も素晴らしいし、実際、その通りに出来ています。これは、驚愕に値します。
愛人と志
 この漫画の秀でた味わいは、SF的な設定とか、女の子が可愛いとか、そういった、表層的な部分から発生しているのではありません。
 確かに、これら表層的な要件も、表現が成立する為には、必須ではあります。しかし、愛人の味わいは、明らかに、作者の「志」や「創作意欲」といった、創作物が生まれるために、より根源的に求められるエネルギーの大きさから生じています。
 しかし、前述の理由により、志は攻撃を受けます。作品の影響力が大きくなれば、その攻撃も強くなります。意味不明の、どこから発生したか分からない攻撃が、作品の方向性を変えさせ、また、人々の目から遠ざけようとします。
 成人漫画の一角をなす本作品は、そのような攻撃の対象になりにくいとは思いますが、この作品が、作者の意図通り見事に完結する事を心から祈っております。