シンディー人形
ふわふわ抱き人形の
お笑いサイドストーリー
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『ふわふわ人形奮戦記』

ふわふわ人形作りに挑戦したオッサンの
涙と笑いの物語

1.ふわふわ人形を作るのだ

 ある日、我輩は、何の気なしに子供の人形を抱いてみた。なんか「いい感じ」である。癒される感じがするのである。こんな我輩にも、色々なストレスがある のだが、それが、和らぐように感じられるのである。しかし、不満もある。なんだか硬い。柔らかさが足りないのだ。工夫すれば、もっと安らぐものに出来る筈 だ。

 日用品に不満があれば、すくさま改良を試みる我輩に、あらぬテーマが湧き上がって来た。「ふわふわの人形を作るのだ、それも大人が満足(エッチじゃない ぞ)できるすばらしい感触の…。そうすれば、その癒し効果は絶大となり、ストレスに満たされた現代社会にとって、福音となるであろう」と。

 我輩は、日頃からリュックサックなどの袋物を自作したり、修理していた事もあって「布人形なんぞ、所詮は袋だから簡単に作れる」と安易に考えていたので ある。まさか、その先に難問が山積しており、悪戦苦闘、抱腹絶倒の1年間が待っている事や、ふわふわの人形が珍しいのは、それが難しいためである事を、そ の時は、知る由も無かったのである。

2.最初の敵「へなへな」との戦い

 早速実験である、先ずは、既存の抱き人形を一部解いて、綿を減らしてみる。そうすると、確かに柔らかくなる。しかし、だめだ。首や手足がだらしなく垂れ 下がり、見るも無残な姿になってしまうのである。
 これは「ふわふわ」ではない「へなへな」だ。生きている人間の体は、骨と筋肉の働きで、柔軟ではあるけれども、しっかりと姿勢を保つことができる。しか し、人形には、骨が無いので、やわらかいと姿勢が崩れてしまうのである。

・針金作戦

 しからば、人形に骨を設けるか?。またも実験である。首に針金を入れて、頭を支えてみる。しかし、これもだめだ。触ったとき、露骨に針金の手触りがあっ て、非人間的である。針金などの、硬い材料を一切使わずに、頭を支えなくてはならないのだ。

・小袋作戦

 我輩は、もう一度考えてみた。この哀れな人形とて、はじめからへなへなしていた訳ではない。我輩が綿を減らしたので、このような変わり果てた姿になって しまったのである。(人形よ、すまぬ)綿がギュウギュウに詰まっていた頃は、首もしゃんとしていたのだ。しかし、綿を減らさないと、やわらかくならない。

 このとき、我輩は閃いた。首と、これを支える部分だけは、胴体とは別の小さな袋にして、この部分だけに、ギュウギュウに綿を詰めるのだ。そうすれば、全 体の柔らかさを犠牲にせずに、必要な部分だけ、しっかりさせることができる筈である。
 またもや、実験である。今回は成功だ。体はふわふわだが、首はしっかりとしている。そのうえ、首をささえる部分も、所詮は布に綿が詰まっているだけであ るから、針金が入っているのとは違い、感触は抜群に良い。その微妙な硬さに、却って人間らしさを感じるくらいである。

 内部の綿の圧力で首をささえているので、我輩はこの方法を、「内圧式アンチトッタリング」と命名し、しばし美酒に酔った。

3.「わた」を求めて

 ふわふわ人形に取り付かれた我輩の目には、行く先々でさまざまな種類の綿が飛び込んで来た。無論、綿が飛んできて目に入った訳ではなく、綿の事が気に なったという意味である。このとき、抱き枕なども結構ブームで、世間には、じつに様々な種類の綿が出回っていたのだ。

 まず、普通の綿。木綿とその代用品としての化繊綿がある。これらは、繊維と繊維の摩擦が適当にあり、それゆえ、つめ方を工夫して、形を整えることが出来 て便利である。しかし、その摩擦ゆえ、ふわふわ感にはおのずと限界がある。究極のふわふわ人形には使えまい。

 次に、やわらかさを高めるために、繊維の摩擦を軽減した化繊綿がある。これは、綿の繊維の一本一本の表面をシリコーンなどで加工して、摩擦抵抗を減らし たものである。綿が伸縮するときの摩擦が少なくなり、ふわふわ感がぐっと増す。ただし、詰め方で形を整えることが難しくなる。

 さらに、「つぶ綿」というのがある。これは、化繊綿を独立したつぶ状に加工したものである。狭い場所にでも流れるように入り込み、抜群のふわふわ感があ る。ただし、「詰め加減で形を加減する」という技は一切使えなくなる。

 その他には、ビーズ(発泡スチロール)や特殊なスポンジ類もある。とくに、マイクロビーズと呼ばれる粒の小さなビーズは結構流行っていた。完全な粒状な ので、流動性が抜群なのは良いが、押さえても殆ど縮まない。それゆえ、他に行き場がないと、凹むことが出来ない。したがって、ぷっくり、ふんわりしたもの が作れない。

 我輩は、最高のふわふわを求めるのであれば、粒綿を採用すべきてあると結論付けた。

4.3つの壁

 最高のふわふわを求めて、つぶ綿の採用を決めた我輩に、恐るべき、3つの壁が立ち塞がった。それは、型崩れ、ゴワゴワ、ペシャンコ、である。

・型崩れ

 つぶ綿の感触が素晴らしいのは、流動性があるからである。つまり、押さえたとき、自分も縮みつつ、押さえられていない部分にスルスルと移動して、他の綿 より、さらに柔らかに変形することが出来るのである。
 ところが、多くの人形は、綿の詰め加減で体型を調節している。たとえば、「ここ膨らませたい」という部分に、余分に綿を詰めるのである。しかし、つぶ綿 の場合は、たとえ部分的にキツク詰めても、液体のように流れて、すぐに均等に広がってしまい、その結果、型崩れしてしまうのである。

・ゴワゴワ

 また、綿の量を減らして、極限のふわふわを追求すると、布の硬さが目立ってくる。つまり、布に無理な力が加わっている部分では、そうで無い部分より布が 硬くなり、ゴワゴワするのである。布に、均一に力が加わるようにせねばならないのである。
 そこまで、綿の量を減らさなくても、とおっしゃる御仁もおられるであろうが、我輩は究極のふわふわを目指しているのである。妥協は許されないのである。

・ペシャンコ

 さらに、綿をやわらかく詰めると、人形は意図した形にならなくなる。なぜなら、綿をきつく詰めていたときは、布の硬さに綿の圧力が打ち勝って形を保って いるが、綿を減らして、その圧力が弱まると、綿が布に負けてしまい、ペシャンとした姿に戻ってしまうのである。

 このように、つぶ綿の採用を決めたとたん、同時に3つもの問題が発生し、解決は絶望的に見えた。しかし、テレビでふと目にしたアヒルの浮き輪が、我輩に 解決のヒントを与えてくれたのである。
 アヒルの浮き輪の中に入っているのは、ほかでもない、空気である。綿とは違い、空気には完全な流動性がある。つまり、つぶ綿以上に、均一に広がリ易いの である。それにもかかわらず、アヒルの浮き輪は、アヒルの形を維持し続けている。

 このとき、我輩は閃いた。人形のボディーを風船だと考えれ良いのだ。そして、膨らませたときに、希望の形が得られるように作れば良いのだ。そうすれば、 内部を満たしているつぶ綿に、どれほどの流動性があろうとも、希望の形が維持できる筈である。そのうえ、この方法なら、内部の綿が全て均一になった状態で 形が安定するから、時が経とうが、多少乱暴に扱かおうが、型崩れしない筈である。
 早速実験である。人形のボディーに沢山のダーツを設けて、表面を曲面にし、風船みたいに膨らんだ時に、希望の形になるように作ってみた。大成功である、 ごく僅かのつぶ綿でボディーはふっくらと膨らみ、押しても、引いても、見事に元の形に戻るのである。また、どの部分も、皺やツッパリがなく、感触も最高で ある。

 内部の綿のエントロピーが最大になった状態(均一に行き渡った状態)で形が安定するので、我輩はこの方法を、「最大エントロピー安定方式」と命名し、し ばし美酒に酔った。

5.まん丸との戦い

 ところが、ここへ来て、さらに次の問題が持ち上がった。風船が膨らんだ時に得られる形には、制約があり、人形のボディーに必要な形が作れないのだ。
 例えば、人形のボディーの断面は長円形である。しかし、風船同様に膨らませると、胴体の断面は、まん丸になろうとする。風船が丸く膨らむのと同じことで ある。

 普通の人形では、キツイ目に綿を詰め、平らに押しつぶす事で、人間らしい形に整えることができる。だが、我輩が採用を考えているつぶ綿は、すでに述べた 通り、完全な流動性があるので、いくら押しつぶしても、もとの丸い形に戻ってしまう。だからこそ、ふわふわなのだ。しかし、胴体の断面がまん丸なのは、人 間の感触とは程遠い。

 そのとき、子供が遊んでいたシャボン玉が、我輩にヒントを与えてくれた、通常、シャボン玉はまん丸にしかならない。しかし、シャボン玉がまん丸でなくな る場合があるのだ。それは、2つのシャボン玉がくっ付いたときである。このとき、シャボン玉は、真中に仕切りのある長円形となる。

 これだ。我輩は閃いたのである。胴体を左右2本の袋で構成すれば、布の張力を均一に保ちつつ、ボディー断面を扁平にすることが出来る筈である。
 またもや実験である。2本の大根(肩から足先まで)のような袋を作り、やわらかく綿を詰め、2本を縫い合わせる。大成功である。胴体の断面は扁平とな り、さらに望ましいことには、背中に微妙なくぼみまで出来て、非常に人間的な感触がある。

 我輩はボディーが複数の袋(セル)で構成されているので、この方法を、「マルチセルラボディー」と命名し、しばし美酒に酔った。

 この頃から、我輩の作る人形から、今までにない、ふわふわ感が感じられるようになり始め、我輩は、ただならぬ人形が出来そうな予感を持つようになったの である。

6.くにゃくにゃとの最後の戦い

 我輩の人形は非常に柔らかい。そこが、素晴らしいのである。しかし、それゆえの問題点が発生した。
 生きている人間には骨があり、要所要所に関節があって、その部分だけが曲がる。しかしながら、我輩の人形には骨がないので、勝手気侭な場所から、くにゃ くにゃと曲がってしまうのである。自然なポーズを取るためには、関節だけが曲がるようにしたい。しかし、針金等の骨を入れる作戦はすでに失敗している。で はどうするか。

・小袋作戦(Part 2)

 我輩は首を支える方法を思い起こした。首をしっかりさせるために、その部分だけを別の小袋として、そこに、硬く綿を詰める方法である。今回は、これとは 逆の方法で解決できるのではないか。つまり、関節の部分だけを別の小袋として、この部分だけは、柔らかく綿を詰めればよいのではないか?

 早速実験してみた。確かに、この方法で、関節の部分で手足が曲がるようになる。しかし、曲げた時に、関節の外側の布は突っ張り、内側の布は弛んで皺がで きる。すこぶる感触が悪い。そのうえ、手足はすでに極限までふわふわに綿を詰めているので、それより柔らかく関節に綿を詰めることが難しい。それを補うた めに、関節以外の部分の綿を多少でも固くつめると、折角のふわふわ感が後退してしまう。全面的な失敗と言う訳ではないが、我輩はこの方法を諦めた。感触を 犠牲にすることは、何としても、避けたかったのである。

・球体関節作戦

 そこで、今一度考え直してみた。世間には、全く曲がらない、硬い材料で出来た人形が沢山あり、それらでさえ、ちゃんと関節が曲がっているではないか。こ ういった人形の関節の仕組みを、布人形に応用することで、問題が解決できるのではないだろうか。

 よく出来ているものの一つが球体関節である。関節の一方が凸球面であり、もう一方の凹面と密着して、関節を構成するのである。しかし、我輩は考え込んで しまった。このような複雑な形状が布で再現できるのであろうか、また、その複雑さゆえに感触を損ねるのではないだろうか。考えて、考えて、考え抜いたが、 いつまでも答えは出なかった。
 そういう時どうすればよいか、我輩は知っていた。とりあえず、出来るところまで作ってみるのである。考えては作り、作っては考えるのである。小学生の時 に読んだ理科工作図鑑という古い優れた本に書かれていた名言なのである。

 すると、あっけなく成功した。それも、恐ろしく簡単な方法で出来たのである。つまり、ダーツによって、球面を構成した太もも側の膝関節に、何のダーツも ない、四角く縫っただけの、脛側の膝関節が、見事に噛み合ったのである。奇跡だ。確かに、理想の形状とは多少の誤差がある。しかし、容易に作れると言う点 できわめて優れているし、関節としての動きにも何ら問題ない。

 布で出来た球面で構成されているので、我輩はこの関節を、「布製球面関節」と命名し、しばし成功の美酒に酔った。

 そして、我輩のふわふわ人形はついに完成した。自分で言うのもなんだが、実に素晴らしい。初めての人に抱いてもらうと、その素晴らしい感触に、「わっ」 と驚くほどである。そして、実に安らぐのである。成功である。我輩は、成功の美酒に酔って酔って酔いつぶれた。

7.親切にしてくれたたくさんの人達に応えて

 我輩がこの人形を作る過程で、分からない事がたくさんあった。そんなとき、インターネットを調べると、たくさんの人が素晴らしいページを作っておられ、 貴重な経験が、分かりやすく公開されているのに、何度となく出会った。それだけではない、質問のメイルを送ると、殆どと言ってよいほど、実に親切に説明し てもらう事ができた。我輩は感動した。熱心に取り組んでいる人は、忙しくても、親切なのである。重要な情報でも、けちけちせずに、いや、重要であるが故 に、惜しげもなく、公開しておられるのである。

 確かに、我輩のふわふわ人形には、それほど有益な情報が含まれていないであろう。しかし、多くの人のお世話になってやっと出来上がったからには、その情 報を公開して恩返ししなくてはならない、そう思ったのである。また、公開するからには、出来るだけ分かり易くしよう。そうも考えたのである。

 そこで、我輩は、この人形の作り方や型紙を、出来る限り詳しく説明した資料を作成し、ホームページで公開することにしたのである。


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